Executive Vision - Top Interview -

株式会社国分ハウジング

代表取締役CEO

久保範和

 くぼ のりかず

Profile

国分ハウジンググループ代表の久保 範和(のりかず)。高校時代はラガーマンとして活躍し、志學館大学法学部へ進学。大学在学中に家づくりに目覚め、卒業前に住宅会社を設立。若手経営者として、柔軟な発想や選択・決断のスピードを武器に実績を積み上げ、2021年度には鹿児島県No.1である405棟を達成。鹿児島、宮崎で圧倒的No.1を目指し、完工棟数1,000棟を目標に邁進中。徹底的成果主義にこだわり、顧客満足に繋がる社員満足をモットーとしている。

営業戦略の立て方やフレームワークを皆さんに共有し、さらに、不動産業界やビルダーというものの魅力をお伝えするため、私どもは【エグゼクティブビジョン】という指針を掲げました。

そのビジョンを伝えるべく、代表取締役である久保範和(くぼのりかず・株式会社国分ハウジング)様に、乃村(株式会社マイホム代表取締役CEO)からインタビューさせていただきました。

久保様よりお聞きした、『ブランド住宅を作りたい』『社員を大切にするという事』を、前後編に分けてお届けいたします。

今回は前編です。

後編はこちら

まず、簡単な自己紹介をお願いします。

久保さん 国分ハウジング代表取締役の久保と申します。

社長に至るまでの経緯を教えてください。

久保さん もともとは父が創業設立をした会社が国分ハウジングで、不動産会社としてやっておりました。私が大学4年生の21〜2歳のタイミングで、不動産から住宅のほうに切り替えていきたいということで、私が住宅事業の責任者として立ち上げました。

久保さん自身は住宅はゼロから国分ハウジングでやってきたということでしょうか。

久保さん そうです。もともとはロイヤルホームで住宅事業をやっていたことがきっかけでした。

どこかへ修行に行っていたわけでもなく?

久保さん いえ、行っていないです。

すごいですね。

久保さん 不動産会社としては、私が大学4年生のタイミングが13年前なので、創業22年の時ですね。その時は地域で不動産としてもNo.1で。メインとしては、賃貸の仲介管理、宅地分譲、建築というのを一定層やっていました。それがメイン事業だったのですが、そのくらいの時に鹿児島にもエイブルやアパマンショップなどのフランチャイズが地域に加盟して伸び出した時期で。

逆に、そこに入っていない地元の不動産屋は、どんどん仕事がそちらに奪われていくという感じでした。父もそこで、危機感を持ち、このまま不動産だけではやばいということで、建築をやっていこうというタイミングで声をかけてもらって、お前がやれということからスタートしました。

大学生で、急に住宅事業をやれと言われてどのような感じでしたか。

久保さん 不動産にあまり良いイメージを持っていなかったので。逆に、ハウスメーカー、住宅と聞いたときに、私の頭の中には、やはり積水ハウスや大和ハウス、住友林業など、超大手のテレビCMで見て、芸能人を起用してというきらびやかの世界だったので、良いイメージがあったので、それはやりたいなと思いました。

確かに、不動産業は何かわからないけど、悪い人もたくさんいるイメージがありますよね。

久保さん そうなんですよね。

不動産業にあまりイメージがなかったけど、住宅事業はハウスメーカーにいられるように良いイメージがあったということですね。1番最初に住宅をゼロからやろうとなったときに当然大変だったと思いますが、初期の頃にされた苦労にはどんなものがあったのでしょうか。

久保さん 父とのぶつかりもすごいありました。先ほどのように、私はハウスメーカーになりたかったんですよね。父は、どちらかというと、不動産上がりなので、ローコスト、建売という考えでした。日本全国で行けばNo.1の積水ハウスで、2位が大和ハウスで、3位が三井ホームで。ローコストから大手まで含めて、そのような順位だったというところがあって、自分の中で学んで勉強して。いやいや、ローコストとか不動産じゃなくて、世の中で1番家を建てているのは、どこかとなったときに、ハウスメーカーが思い出されたので、僕らが目指していくのはそこだろうと私はずっと思っていました。

高くても、いい家をブランドとして作っているところが勝っているんだと。そこを私は貫き通して、1番最初は、パナソニックテクノストラクチャーを始めました。正直、それのおかげで、出だしから全く知名度もない、新卒1年目の私が、モデルハウスの企画から、家具を揃えて、コーディネートをして、広告のチラシも作り、実際にお客様の前に出て、営業もしてプラン提案をして、全部ゼロからやったのですが、その大手のパナソニックという信頼度と、パナソニックの全体の手厚い支援というところで、めちゃくちゃ大変ではありましたが、一定層のお客様の信頼もあります、パナソニックとしての形も揃っているというところで、最低限の立ち上げができたかなと思っています。

ここでの学びがなかったら、絶対に今はないと思っているので、ここでパナソニックと組まずに、父と一緒にゼロから住宅事業を、ローコストという頭の中で立ち上がっていたら、今の成長、今の形に行き着くまで、もちろん時間もかかっただろうし、下手したら、今の形はないと思っているので、その時のパナソニックの、勉強サポート体制というのはすごく今でも感謝しているところです。

現在の御社の事業内容を教えてください。

久保さん 今も新築、一戸建て、という所だけに事業は絞っていて。去年の4月までは賃貸もやっていたのですが、賃貸は完全にやめました。新築、戸建ての注文住宅、企画住宅で建売住宅をやっています。

今は年間どのくらい着工されていますか。

久保さん 棟数は、受注ベースで500棟ぐらいですね。

すごいですね。

久保さん 直近の住宅産業研究所の2021年度で、405棟の申請で上がっています。 

当然鹿児島No.1ですかね?

久保さん 鹿児島No.1ですね。2番手が265棟で、4年連続という形ですね。

まさに久保さんの代で鹿児島No.1に押し上げたんですね。立ち上げなどの経験を経て、今思うと、どのような経験や学びがありましたか。

久保さん もちろん、父が作ってきた期間というのはありましたが、全部自分でやったので、お金の部分だけは、国分ハウジングという資本があったので、心配は入らなかったのですが、それ以外に関しては、採用から広告、マーケティング、営業、設計、現場監督、仕入れ、発注、この辺は全てやったので。

すべての業務をやっていくしかないですもんね。

久保さん そうですね。やっていくしかなかったので、結構必死こいて仕事をしていましたね。

結局、全部やったことによって、全部の業務がわかるようになったということはありますよね。次に、ロイヤルホーム設立時に感じた心境や決意を教えてください。

久保さん やはり、ブランド住宅を作りたいというイメージがすごく強かったですね。積水ハウスになりたいと。そのためには、ということで、自分なりに大手ハウスメーカーがしていることを研究して、地元の工務店だと思われたくないという気持ちでやっていましたね。

設立の地は、人口が12万人の霧島市なので、霧島市ではと言ったらアレですが、霧島市の小さい人口では真似できないんですよね。それはわかっていたので、できるだけ早く鹿児島市内の拠点を設けないといけないと。しかも、ハウスメーカーは何をしているかというと、総合展示場に出していると。設立当初から、1番最初の目標は、鹿児島市の総合展示場に出すことでしたね。

初めて総合展示場に出せたのは、設立から何年目くらいだったのでしょうか。

久保さん 3年目でしたね。

早いですね。

久保さん 2010年に設立して、2013年の1月に総合展示場にグランドオープンしたので。

設立3年目の総合展示場に出した頃は、年間に何棟くらいやられていたのでしょうか。

久保さん 20棟ほどでしたね。

どんどん攻めていた時期ですね。

久保さん そうですね。

これは総合展示場に出た時は効果は大きかったでしょうか。

久保さん 大きかったですね。集客が非常にくるという所と、これは期待していたところですが、私はその時代、すごい総合展示場で仕事をしたかったんですね。大手ハウスメーカーが集まっていて、1つ、地元の工務店と価値が分かれているところがすごく感じたので、総合展示場に出すことで、会社の1つのブランドイメージがついて、良い人材、良い営業が集まるなとすごく期待をしていました。そこが案の定うまくいって、総合展示場に出したことによって、他社の住宅事業の経験者が弊社に求人に来てくれるようになりました。

大きな成功要因の1つだったということですね。

久保さん そうですね。

久保社長が経営において大切にされている考え方や軸を教えてください。

後編はこちら

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