Executive Vision - Top Interview -

株式会社建匠

代表取締役CEO

西村龍雄

にしむら たつお

Profile

1977年2月25日生まれ。
兵庫県神戸市で生まれ、0才より高知育ち。
須崎工業高校時代は実力テスト3年間オール最下位。
工業8科目はオール5でトップクラス。
空手歴15年、ダンス歴25年。
宮大工として11年修行後、リストラされ無職放浪の旅人になり日本を2周する。
高知に帰り着いた時には全財産35円の極貧から、人生をひっくり返す為に2010年に住宅会社、建匠を起業。
創業8年で地場1位、12年でメーカー含む高知県1位。
2022年現在、年商30億突破。
今後は県シェア日本一を達成するべく邁進中。
受賞歴は全国賞など30くらいあるのでHPの受賞歴を参照。
高知&神戸を拠点に展開中。
将来の夢はアジア・ヨーロッパ・アメリカに拠点をつくり、老後は毎年世界一周しながら旅をすること。
異業種展開で高知プリン亭もオープン初年♬

営業戦略の立て方やフレームワークを皆さんに共有し、さらに、不動産業界やビルダーというものの魅力をお伝えするため、私どもは【エグゼクティブビジョン】という指針を掲げました。

そのビジョンを伝えるべく、代表取締役CEOである西村龍雄(にしむらたつお・株式会社建匠)さんに、乃村(株式会社マイホム代表取締役CEO)からインタビューさせていただきました。

西村さんよりお聞きした、『リストラから旅人、そして経営者へ』『自分自身を最大に生かしきる』『成長する会社の常識を共有する難しさ』を、前中後編に分けてお届けいたします。

今回は前編です。

中編はこちら後編はこちら

まずは、簡単に自己紹介をお願いいたします。

西村さん 株式会社建匠・代表取締役の西村龍雄です。私はもともと宮大工を11年やっておりまして、神社、お寺を建築する宮大工として一生生きていくと思っていました。その会社は社長と奥さん、棟梁20人という社員構成で、新規の受注は問題なくできてました。20
人の棟梁を余すことなく全員使えるぐらいの仕事量があったものが、3年ぐらいでほぼなくなり、下請けに入っても安定しないという状態になり、時代の流れというものを考えるようになりました。なぜこの会社の業績が下がっていくのか、なぜ仕事が来なくなるのかと考えたことが、もしかしたら1番最初の経営に関する考え方の入り口だったのかもしれないです。そこをリストラされて、日本を2周する放浪の旅人になりました。

経営意識が芽生えて、そこから日本を周ってみようと思った理由は何だったのでしょうか。

西村さん 今しかできないことをやってみようと。なので、朝8時にリストラ宣告されて、その日の15時には旅に出ようとなっていました

なるほど。その後はどのような変化がありましたか。

西村さん 日本2周目の時に起業しようということになるんですけど。1周目は自分探しで、2周目にこれからの人生どうするのかと考えたときに、起業しようと意思が固まりました。

それは自分の中でどのような気づきや腑に落ちた部分があったのでしょうか。

西村さん 大工そのものは背骨を折ってしまい、一生の仕事としてはできないとお医者さんに言われたので、それもあり、大工として一生生きていくのは無理だったら、自分はどうするのかと。誰かに自分の人生を左右されるのが嫌だなと思い、自分の足で立とうとなったのがきっかけですね。自分の人生を自分自身で作ってみようと思ったことがきっかけでした。

続いて、会社を設立し、経営する中で、どのような経験や学びがありましたか。

西村さん 西村建匠として半年間事業を行い、その半年後の2010年4月1日に株式会社となったのですが、最初の半年で受注を30棟ほど取れたので、これはいけるなと思い、会社にして社員を採用する方向性になりました。

この約30棟は1人でやっていたのでしょうか。

西村さん 1人でやってた時です。ただ、初年度60棟が目標だったんですよ。県1位が50棟だったので。それで、全然無理だったと 。

でも、すごいですね。

西村さん やはり、株式にしたから社長になるわけではなく、社員を雇ってからが本当の厳しさでした。自分が受注をとり、うまく軌道に乗ることができたので、社員たちもすんなり受注できるものだと思っていて… 。しかし、結果は全く思うようにいきませんでした。起業..して2年目、2011年度は2500万円の赤字でした。創業する前は日本1周して帰ってきたときに35円しか持っていなかったので、35円しか持っていなかった人が2500万円の赤字というのは、はっきり言って、震えましたね。これは瞬殺で倒産すると思いました。笑

ちなみに、この2500万の赤字は今思うと、どのような失敗があったと思いますか。

西村さん 社員を育てるのに半年間集客を止めたんです。受注残を10棟ぐらい残していたので、その10棟をやりながら、社員育成をすると決めたのですが、そんなに簡単に人は育ちませんでした 。

たしかに難しいですよね。

西村さん 初年度に5000万ぐらい利益を稼いでいて、いけたのはいけたのですが、まだ大丈夫だと思ってやっていたのもありますね。でも、もう1年同じことをやったら、会社はなくなるので。リミットが来てしまうと。

この経験を通して得た学びはありましたか。

西村さん 全てを同時にやっていかないと無理なんだと。社員育成も数字も両方作っていかないと、同時にやらないと、どちらか1つに集中している場合じゃない、と。簡単に言ったら、社員育成にかこつけて、数字を作るのを怠ったわけですね。社員育成に集中するというのは聞こえはいいけど、結局、このままじゃ倒れてしまう、と。気づいたことと言ったら、人はそんなに簡単に育たないと。でも、そのままだったら会社を潰してしまうので、これを同時にやっていかないと無理だと思いました。数字を作るのが自分の最大の武器だったはずなのに、そこを放棄したわけなので、それは今から考えると、はっきり言ってアホだなと。「ごちゃごちゃ言わないで全部やれ」と当時の私に言いたいですね。

何かを手に入れるために強みを捨てるというのが、そもそもミスだったという事ですね。

西村さん 本当に大ミスですね。自分で自分を潰しに行っているという感じでした。

苦労した2年目、社員さんを採用したタイミングで、心境や決意はありましたか。

西村さん 創業1年目と2年目というのは、私の給料が月8万円だったので。社員の方が給料が高いんですよね。

これはどれぐらいの期間続いたのですか。

西村さん 2年間です。それでも2500万円の赤字だったので。1年目に5000万円出てたのですが、自分がある程度の給料をとるのは勝ち上がってからというイメージがあって。もともと私は旅人なので、8万あったら結構楽勝なんですよね。もともと35円しかないので。そもそも使っている時間なんかありませんでしたし。

社員さんが入り始めて赤字額が2500万円になったときに、決意したことや心境の変化とかはありましたか。

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